洛南高校・津田伊万くんのコーチ

 7月9日定例練習日の朝、市営に津田伊万くん(京都・洛南高校2年)がいて、ビックリ!何でも、インターハイに出る生徒は修学旅行には行くことができないそうで、金沢に帰ってきたそうです。そして、金商の宮崎先生に呼ばれて高校生のコーチに来ていました。

 津田くんは、陸上教室時代、5年生100mで全国大会準決勝まで進出、6年生時男子リレー(2走)で準決勝まで進出、100m12秒40は県小学生記録、リレーの50秒45も県小学生記録です。

 中学3年の全中大会200mで優勝。現在、桐生選手も在学していた洛南高校で活躍中。高校2年ではトップ、8月のインターハイには200m、4×100mR,4×400mRに出るそうです。

 「このチャンスを逃す手はないな」とドリルのエキスだけ教えてもらいました。

 はしごラダーでは、ヒザと足首を固めたジャンプ。私はいつも「ヒザと足首にボンドを塗ってかためましょう」と言っていますが、まさにそのようなジャンプでした。

 マイクロハードルでは、しっかりと体の真下に接地をする見本を見せてもらいました。地面からの反力を生かした見事な動きでした。

 子どもにも代表で走ってもらいましたが、脚が後ろに流れてしまう動きだったので、これも勉強になりましたね。

 「京都洛南高校のグラウンドは狭くて、50mをやっととることができくらい。そこでハードルを1m間隔で50台並べて、ひたすら「踏んで、踏んで」のドリルをしている」と洛南高校の柴田監督に聞いたことがあるのですが、津田くんは「その通りだ」と言っていました。

 ラダーにしてもハードルにしても、日本一の高校生も同じことを意識して練習しているということで自信を持ってほしいと思います。

 津田くんも小学生の時、練習ではこういう基本のドリルが大半で、100mを何本も何本も走るという練習はしていません。

 今、特別練習には20~30人来ていますが、ドリル練習を重ねることで、いい動きができている子がたくさんいます。

 この頃は私の言っていることもよくわかるようになりました。私が「今、どこを鍛えているの?」と聞くと、「アタマ!」と答えが返ってきます。 

 リレーのバトンワークも見てもらいました。洛南高校でも、オーバーハンドパスだそうです。「パスする手をしっかり見て渡すこと。この練習時はあわてないできっちりと渡すことだ大事」と注意されました。

 リレーの練習も、基本はパス回しです。一定の走力がつけば、あとはひたすらパス回しで十分と思っています。バトンは落としたら終わりですから。今年のリレーメンバーは4月から上手ですが、あと一歩の努力です。

 最後に、津田くんは高校生に「走ることは簡単に思うかもしれないけれど、実は奥深い動きがたくさんある。勉強してほしい」と言っていましたが、まったくその通りです。

 5年前の小学生時代とは見違えるようながっしりとした体格になり、立派になりました。的確なアドバイスもできるようになりました。インターハイで活躍する事を願っています。

 金商の宮崎先生からは「オリンピックに出んなんぞ!」と発破をかけられていました。津田くんは、5年生の時に市役所に挨拶に行った時に、当時の山野市長に「夢は何ですか?」と聞かれて、「オリンピックに出ることです」と答えていました。夢がかなうといいですね。 

長文で、難しい言葉もあるので、低学年の子には保護者の方がくだいて話していただければ、ありがたいです。

 五島莉乃さん、石川県女子で初めて世界陸上選手権に出場決定!(2022年5月7日)

  5月7日(土)いしかわスポレク大会で、陸上教室の子たちと星稜高校の北川先生がメッセージを書き込んだ応援旗を持って、私(野村)は国立競技場の日本選手権1万mに応援に出かけました。スタートラインの横に陣取り、応援旗を振ると、五島さんは気付いて手を振ってくれました。「先生の顔を見て、大きな旗を見て、スタート前に大きな力をもらいました!!!」とのことで本当によかったです。

 スタートから先頭を引っ張り、31分10秒のペースで進んでいました。7000mあたりからペースが落ちましたが、粘りに粘って見事3位に入って世界陸上出場の内定を得ました。フィニッシュしたあと、彼女にしては珍しく膝に手をあてうつむき、心底疲れ切った様子でした。本当によくがんばりました。

 「五島さん、世界陸上内定です!」という場内アナウンスに涙を流していました。私からも「おめでとう!」と声をかけると、もういつものニッコリでした。

 表彰式が終わって会うことができました。資生堂のマネージャー、会社の方々、いつも食事を作ってくださる管理栄養士さん、中大時代のコーチ・・・と会って、たくさんの方々に支えてもらっているのだなあと驚く反面、たいへん苦労もする世界だなあということを感じました。

 翌日の北國新聞で大きくとりあげられていましたね。石川テレビの夕方のニュースでは、小学6年生時の百万石ロードレース優勝の映像とあわせて放送していました。「将来の夢は?」のインタビューに「マラソンでオリンピックに出たい!」と答えていて、「ああ、そうだったなあ」と思い起こしました。アメリカでの世界陸上のあとは、オリンピック・パリ大会でのマラソン出場をねらうことになるのかもしれません。(Q 陸上教室卒業生でもう一人、5年生の時に山野前市長の前で「将来はオリンピックに出たい」と言った子がいます。さて、それは誰でしょう?)

 陸上教室の子もテレビで先輩を応援したりしてくれていたことと思います。

 以前に書いたように、五島莉乃さんとは会ったことはなくても、「陸上教室が陸上競技との出会い」であったことは間違いありません。それはうれしいことですね。

 (小阪慶三代表の奥さんが小学4年の時の担任で「陸上教室に入ったらどう?」と声をかけてくださらなかったら、今の五島さんはなかったかもしれません。水泳で活躍していたかもしれませんが・・)

 五島さんのように走るのは誰でもできることではありませんが、陸上教室の子にも見習って欲しいことがあります。

1.「積極的に前に出る」

 レースでそんなことをしたら、ペースが持たないけれど、ふだんの練習姿勢ではできるのではないですか。「並びましょう」と言われても、ぐじぐじしていませんか。五島さんが先頭に立って引っ張る姿を思い起こしましょう。

2.「大きな動き」

 体操の段階から「大きな動き」ということを言っています。五島さんの腕ふりはとても大きいです。ぜひ、あのイメージを持って走りましょう。

3.「感謝」

 最後の挨拶で、多くの関係者の方々に、心から感謝の言葉を述べていた五島さん。みなさんも、練習の送迎をしてくださったり、大会の応援にきてくださるおうちの方々に感謝していますか?

 

 本人ご家族はもちろんのこと、陸上教室にとっても、石川県のみなさんにとっても、嬉しい五島莉乃さんの世界陸上出場内定でした。

 私は県大会が終わったら、アメリカ・オレゴン州ユージーンに行って応援しようと思っていたのですが、女子1万mは県大会の前日なので、あきらめました。

 ユージーンは陸上競技のメッカなので、とても興味あります。(BIGBOSS NOMURA)

 

五島莉乃さん、石川県で初めて都道府県対抗駅伝で1位でタスキをつなぐ(2022年1月16日)

1月16日の都道府県対抗女子駅伝の石川チームの一走は陸上教室卒業の五島莉乃さんでした。テレビの前で観戦応援していた子も多いと思います。

圧倒的な走りで、ぶっちぎりの区間賞でした。1位でタスキをつなぐのは石川県初めてのことですから、県民みんな驚いたことと思います。

五島さんは5年6年(2008年2009年)と金沢市小学生陸上教室に所属していました。

陸上教室で日々練習した結果ということでは絶対になくて、「陸上教室が陸上競技との出会いの場であった」ということです。

みなさんの先輩と言っても会った子は少ないのでピンとこないでしょうが、「陸上競技との出会いの場」ということでは同じですね。(3年前の冬季練習の時に来てくれたのですが、またいつか来てくれるといいですね)

 

「どんな小学校時代だったのかなあ?」と気になる子もいると思います。

五島さんは当時、水泳の長距離選手コースにも入っていました。ピアノもとても上手でした(中学校の卒業式でも演奏)。勉強もたいへんよくできました。

陸上では、1000mのベストタイムが3分11秒で当時の県一番で、ロードレースでも優勝していました。

陸上教室や家で走り込んで速くなったということではないので、持久力のもととなっているのは水泳であるのは間違いありません。

朝の水泳練習を終えてから陸上教室の練習にきていました。

 

当時は「将来オリンピックを狙うようになる」とは思ったことはありませんでしたが(というか、私はそういうことを思わないようにしています)、ずっと頭に残っていることが2つあります。

一つは、心拍数の戻りの早さです。当時は私もそこそこ走れたので、五島さんと並んでペース走やインターバル走ができました。どんなにハアハアと言っていても、走り終えるとケロリとしていてびっくりしていました。心拍数が上がってもストンと落ちる心臓はとてもいい心臓です。※注1

いつもレースのあとは、ケロリとしています。今日の駅伝でも「たぶんそうだろうな」と思ってみていましたら、その通りでした。今まで苦しそうにしている姿を見たことはほとんどありません。

 

もう一つは、100m走のタイムです。正式タイムは明らかにしませんが、B標準です。「1000mはあんなに速いのに、何でや?」とコーチは皆、首をかしげていました。

ここからは私の推測ですが、おそらく筋肉の組成が遅筋(赤筋)の割合が高くて、すでにその頃には発達していたのだと思います。遅筋(赤筋)と速筋(白筋)の割合はトレーニングによって変わるとはいうものの、ある程度生まれつき決まっています。

教室の中にも「1000mは得意だけれど、100mはどうも・・」という子はいますね。心配しなくていいのですよ。

今日の駅伝では、田中さんとのラスト勝負を意識して最初からハイペースでしたが、それは当然のことです。※注2

 

五島さんは星稜中、星稜高でも活躍しましたが、全国のトップではありませんでした。監督は「無理させなかった」と言っていました。これがとても重要ですね。(不破さん所属の拓大の監督もそう言っています。ジョグだけの日もあるそうです)

中央大学内でもトップ選手として活躍しましたが、全国のトップではありませんでした。競技をしている以上、1位を狙って走るのですから、苦しい時期がずっと続いたと思います。

そして、資生堂に入って、今の大活躍があります。もちろん資生堂での練習の成果が大きいのには違いありませんが、良いも悪いもいろんな積み重ねがあって、そして今のタイミングでのトレーニングということですね。「将来を見据えたコーチングというのはとても難しい」と改めて思います。

 

素質というものもあるので、だれもが五島さんのように走ることはできませんが、小学生のみなさんでも真似をすることができます。お手本としてほしいと思います。

一つは腕ふりです。とても大きく、推進力を生み出しています。みなさんも、体操の段階から「腕だけでなく体全体を大きく動かす」ということが大事です。

もう一つは骨盤の動きです。五島さんの走りをよく見ていると、腕振りと同時に骨盤がよくひねられて、脚が前にすっと出ています。水泳をしていたおかげで人一倍かと思いますが、陸上教室の練習でもいつも「腰のひねり」手足の協調」と言っているように、基本の動き練習にはそれをふんだんにとり入れてありますので、意識しましょう。

競歩もとてもいいです。五島さんは競歩の練習をしたことがないのに、大会で入賞したことがあります。

 

最後に、今回のインタビューで「石川に恩返しを考えて走った」というコメントがありましたね。石川県選手として10年連続で出場してずいぶんと貢献をしてくれていますが、区間賞をとってすっきりしたことでしょう。これまで育て応援してくれた方々への感謝の言葉です。立派ですね。

みなさんもこれからも、いろいろな場でお世話になる人へ(家族も)の感謝の気持ちを忘れないでほしいと思います。

 

※注1 最大心拍数は誰もがほぼ同じですが、すっと戻るということが重要です。また安静時心拍数が低いことも重要です。走り込むと、そういう心臓に変わってきます。他にも心臓や肺、血管などの働きも持久トレーニングによって高まります。それを「スタミナ」といいます。

※注2 魚に例えるとわかりやすいです。例えば、マグロの筋肉(赤身)は遅筋、ヒラメの筋肉(白身)は速筋。マグロは長距離選手で泳ぎ続けます。ヒラメは目の前に獲物がくると瞬間的にパクッと食べる短距離選手。人の筋肉も同じです。

遅筋と速筋の割合は生まれつきで決まっていると言われています。知りたいと思えば、太ももに針を刺して、筋肉組織を採取すれば分かります。

ですから、「○○さんは、生まれつきかけっこが速い」ということはありえる話と思います。遅筋(赤筋)がトレーニングによって速筋(白筋)に変わることはあまりないと言われています。つまり、短距離走で速くなるのは限界があるということです。12秒台で走りたいと思ってどんな練習をしても、皆がそこに達するのは難しいです。

逆に、遅筋(赤筋)を発達させることは可能です。つまり、長距離練習によってどんどん持久能力を高めていくことができるということです。高橋尚子さんなど遅咲きのマラソンランナーはたくさんいます。何よりも私がそうです。病弱で運動部にも入っていなかったのですが、二十歳過ぎから走ってマラソン走れるようになったのですから。

 

それにしても、小学生期はいろんな運動をすることが一番なので、「走る、跳ぶ、投げる」何にでも挑戦することが大事です。

「かけっこが遅いから何をしてもダメだ」とあきらめないで、自分に合った運動を楽しくすることが小学生にとって一番大事なことです。(BIGBOSS NOMURA)